電子レンジって、必要ですか?
私はもう数十年、電子レンジがない生活をしています。
自分にとってはそれが普通のことなのですが、「うち、電子レンジないんだよね。」と言うと、周囲の人達は目を丸くして驚きます。
「そんな家庭があるんですか!?」
「電子レンジがないって…じゃあ毎日どうしてるの!?」
と、割とビビットな反応が返ってくることもあり、電子レンジというものがいかに世の中に浸透し切って馴染んでいるかということを思い知らされるわけですが…。
電子レンジがなくても全然大丈夫です。私は電子レンジがない生活が気に入っています。
ついでに言うとうちには炊飯器もありません。ご飯はお鍋で炊いています。
「電子レンジも炊飯器もない」と言うと、
「え…。じゃあ、洗濯機はあるんですか?」
「冷蔵庫は…?」
なんて聞かれたことがありました。
いやいや、洗濯機とか冷蔵庫とかはもちろんあります!
世の中では電子レンジって、そこまで絶対的生活必需品と化しているんでしょうか。
「ミニマリスト」や「断捨離」という言葉をよく耳にするようになって久しい今日このごろですが、少ない物で豊かに暮らすという考え方が私も好きです。
電子レンジを手放したいけどなかなか決心がつかない方、またこれから一人暮らしを始めるけど電子レンジは必要なものなのか?と疑問に思ってらっしゃる方に向けて、自分が少数派であることは十分承知の上で、電子レンジがなくても全然OKな生活について書いてみたいと思います。
目次
電子レンジがない生活とは
正確に言えば、結婚していた時期、家に電子レンジはありました。
元夫が友人から譲り受けたコンパクトなものが。
しかし結婚していた頃私たちは極小のアパートに住んでいて、キッチンは猫の額ほど狭く、電子レンジを置いている場所は頭よりも高い位置という非常に使いづらい状況だったため、ほとんど使いませんでした。
離婚して二人の子供を連れて引っ越し、少ない荷物で暮らし始めたのですが、引越し先は広くて家賃が激安の都営住宅。
しかも内装は私達が入居する前に壁も床もすべて新しく作り変えてくれていたので、新築のようにピカピカ。
嬉しくて嬉しくて、清く正しく明るく暮らしていこうと心に誓いました。
都営住宅のダイニングキッチンは十分すぎる広さがあり、持っていった台所用品を全部収めてもまだまだ余裕があったので、働きながら少しずつ必要なものを揃えていきました。
この時の充実感は今でも忘れられません。
「必要なもの」の中に、電子レンジは含まれていませんでした。
それまで電子レンジを使わない生活をしていたので、欲しいとも思わなかったのです。
しかし引っ越した当時、二人の息子は小学生と中学生。育ちざかりだったし、やがて毎日お弁当を作るようにもなったので、家にいる時は常にキッチンに立っているような毎日でした。
インスタント食品やレトルト食品は好きじゃないし、出来合いのお惣菜を買うことも、外食することもなく、毎日食材を買ってきて家で料理していました。
それが一番安上がりだし、量もたくさん食べられます。
当時インターネットはまだあまり普及していなかったので、新聞や雑誌や、母からもらった家庭料理の本などを見ていろいろな料理を覚えました。
息子たちが高校生になると、週替りの当番制で夕飯を作ってくれるようになり、毎日賑やかで活気がある日々でした。
食品を温める時は?
電子レンジがないと言うと、「ものを温める時はどうしてるの?」と必ず聞かれます。
冷えてしまったおかず、冷めてしまったご飯を食べる時、以前は鍋やフライパンで再加熱したり、ご飯はチャーハンにしたりしていました。
電子レンジが普及する前は、どこの家庭もそうしていたのではないでしょうか?
しかしホーローの蒸し器を購入してからは、蒸し器が毎日大活躍するようになりました。
大きな寸胴の鍋で、ご飯もおかずも一緒に温められます。
手軽で味も損なわず、フワッと芯まで温かく出来上がるので大満足。
電子レンジで温めた食品って、熱いところと冷たいところがあったり、かといって時間多めに温めたりするとやけどしそうに熱くなったりしませんか?
私はそれが苦手でした。
ホーローの蒸し器に入れる時、ご飯やおかずは普段使っている食器のままでも大丈夫ですが、食器が熱くなってしまうので、私はホーローの容器に入れて温めます。
あまったご飯やおかずを冷蔵庫にしまう時点で、最初からホーローの容器に入れてしまっておけば、冷蔵庫から出してすぐそのまま蒸し器に入れられるので便利です。
なのでホーロー容器は大小何種類も揃えています。
一つのホーロー容器に保存用の半透明のフタと、蒸し器に入れる時のホーローのフタと二種類販売しているメーカーがあるので、それを愛用しています。
蒸し器であるホーロー鍋と、食品を入れるホーロー容器などを揃えると、最初はちょっとお金がかかりますが、壊れるものではないので一度揃えたら一生使えます。
蒸し器の中に野菜を放り込めば美味しい蒸し野菜ができるし、マグカップに入れた飲み物を温めることもできます。
電子レンジに比べたら時間は多少かかるかもしれませんが、蒸し器の自然でソフトな温まり具合が私にとっては違和感がなく、最高なのです。
冷凍食品は使わない
冷凍食品は使わないので、今どんな冷凍食品が販売されているのかも全然知りません。
冷凍食品といえばはるか昔子どもたちが幼い頃におやつ代わりに買ったたこ焼きや焼きおにぎりくらいしか記憶にないです。
今はもしかしたら技術の進歩でとても美味しいものがあるのかもしれませんね。
冷凍食品に関しては、昔ちょっと印象的な出来事がありました。
長男が2歳前のおむつをしていた頃、ある日家の中でプラスチックが燃えているような異様な臭いが漂ったことがあり、私は思わずキッチンのガスコンロを見に行きました。
おもちゃが燃えているんじゃないかと思って。
幼児と暮らす生活の中では、子どもは想像を超えた考えられない行動に出ることがあるので、まさかと思いながらも火元があるキッチンを見に行ったのです。
しかしキッチンには何の異変もない。
でも確かにすぐ近くから臭ってくるこの異様な臭いは何!?
臭いの元をキョロキョロ探す私。
やがて答えはすぐに判明しました。
においの元は長男のおむつの中だったのです…。
こんなことは初めてだったので私は驚き、長男に前日何を食べさせたか考えました。
普段は食べないもの、それは冷凍の焼きおにぎりでした。
袋の裏の原材料名のところには、「米」と「醤油」くらいしか記載がなかったので、小さい子でも食べて大丈夫だろうと思い食べさせたのです。
しかし長男のおむつの中は、あり得ない類の化学的な臭い。
この原材料名は嘘ではないか?と私は疑ってしまいました。
もしかしたら米ではなく、米に似せた化学合成物のようなものなのではないかという気さえしました。
もちろん私の勘違いかも知れないし、冷凍食品を否定したいわけではありませんが、その時から冷凍食品から足は遠のき、特に必要に迫られることもなかったので、それ以降冷凍食品とは縁のない生活になりました。
炊飯器もいらない
電気炊飯器って、場所を取りませんか?
蒸気が出るので設置する場所を選ぶし、コンセントがあるので気軽にに移動はできないし、自由度が低いんですよね。
ごはんは鍋で炊く
私の家は鍋でご飯を炊いています。
鍋と言ってもホーローのご飯炊き専用のごはん鍋。
ホーローには見えませんが、鋳鉄にマットなホーロー加工を施しているもの。
4合炊きのズッシリしたもので、やや重いので洗う時に扱いづらいのが難点ですが、気に入ってずっと使っています。
今の炊飯器は、ごはんがふっくら美味しく炊けるという謳い文句で10万円もする高級なものもあるようですが、直火で炊くごはんが結局一番美味しいと私は思っています。
保温機能はないけれど…。
鍋なので炊飯器のように保温機能はありませんが、炊飯器の中で保温されたごはんって、ただ温かいだけでご飯の匂いがなくなってしまって、美味しいとは思えないんですよね…。
鍋で炊いた場合、余ったごはんはすぐに冷めてしまいますが、おひつやホーロー容器に入れてしばし保存。
食べたい時には蒸し器でサッと蒸していただきます。
ふっくらして炊きたての時と変わらない美味しさを味わえます。
私が思う快適な暮らし
大量生産、大量消費の時代に生きる私たちですが、情報過多の時代でもあります。
世界中の人が様々な暮らし方をしていて、今流行りの価値観や快適な暮らし方なども、メディアが次々に紹介してくれます。
他人の暮らし方や他人の価値観に触れることも、自分にとって落ち着く、自分自身が本当に望む生き方暮らし方に行き着くためには必要かもしれませんね。
何もなかった父の実家
私は九州の大分県出身で、両親ともに大分で生まれ育った人たちなのですが、子供の頃夏休みに訪ねていくそれぞれの実家は、雰囲気がまったく違っていました。
父は農家の出身だったので家は昔からよくある純日本家屋。
平屋の家の中に家具も物も必要最小限しかなく、台所は土間でした。
ふすまを外すと畳の部屋が全部つながって広い広い一部屋になり、物がないので散らかりようがない、という感じの静かな佇まいの家でした。
片や母の実家は商売をしていたこともあり、二階建ての家の中は色々な物が溢れていました。
散らかってはいないけどなんというかゴチャゴチャ感がありいつも賑やかで活気がありました。
私はどちらかというと父の実家の方にシンパシーを感じていて、今の私の家の中も、物はあまり置かないようにしています。
今はもう、父の実家も母の実家も取り壊されてなくなってしまいましたが、時々両極端な二つの家と暮らし方をありありと懐かしく思い出します。
原始人のように暮らしたい
生きていく上で人は何かしら仕事をしなければいけませんが、それを含めてどのように生きてどのように暮らしていくかは他の誰でもない自分が決めることです。
年を取るに連れてたくさんの情報に触れ、たくさんの知識が身についていくわけですが、取り入れる情報によっては知らず知らず偏った価値観になってしまうことがあるかもしれません。
時々私は、物も情報もなかった原始人のことを想像します。
といっても原始人のことに詳しいわけでもなんでもないので、あくまでイメージなんですが…。
自分自身を過去の自分に戻すのは難しいけれど、原始人の自分が今この時代に来たと想像すると、何が必要で何が大事なのか、なんとなくすぐわかるような気がするので、ニュートラルな位置に立ちたいと思った時にこの考え方は折に触れ使っています。
家事の大切さ
今回は電子レンジのことを書きましたが、家事というのは生きる上で不可欠で、重要なことですよね。
誰しも家事をせずに生きることはできません。
中にはお金を払って他人に丸投げしたり、身内に押し付けて自分はしないという人もいるかもしれませんが、それはなんというか人間的にとても脆弱な、地に足が着いていないような偏った人間になる危険性を孕んでいるような気がします。
そういう私は実家にいた娘時代、母が外で働いていたにもかかわらず、家事の手伝いということをほとんどしていませんでした。
というか母は私に「勉強しなさい!」と言うことはあっても家事をさせることはありませんでした。
家事をすることで人間の基本ができると今の私は大げさではなく思っています。
私の気の利かない性格は、成長期や思春期に家事をしなかった、つまり働かなかったことに原因があるのではないかと思ったりします。
そんな自分の思いもあり、私の二人の息子には、小さい頃から家事をさせてきました。
小さい子は大人の真似が大好きなので、大喜びで手伝ってくれるし、何でもすぐに覚えます。
高校生になった頃には、もう何を任せても完璧にできるようになりました。
私と二人の息子と三人で、週替りの当番制で家事をこなしていましたが、洗濯、掃除はもちろん手際よくできるし、夕飯作りの当番になった週には一週間、毎日美味しい夕飯を三人分作ってくれました。
息子それぞれに個性があり、献立決めから買い物、料理から後片付けに至るまで全部一人に任せるとそれが如実に表れるので、見ていて面白かったです。
子育ては大変ですがあっという間に子どもは大人になり、独立していきます。
みんなで家事をして賑やかに生活を回していたことは、忘れられない良い思い出です。