ユーミン(松任谷由実)を知ったのはいつ頃のことだっただろうか?
考えてみればユーミンは昔からほとんどテレビに出ない人だった。
だけどユーミンの歌はたくさん知っている。
若い頃からずっと、ユーミンの曲はいつも身近にあった。
ユーミンがデビューしたのは1972年。
なんと50年以上前ではないですか。
なのにデビュー当時の曲を聴いても、まったく古臭さは感じない。
これは凄いことだと想う。
私とユーミンの出逢いは、たしか私が高校生の時。
友人が、「あなたが好きそうだから」とカセットテープを貸してくれた。
それがユーミンのアルバム『MISSLIM』だったと思う。
ユーミンは何というか、歌手というより作家のような人だ。
ユーミンの歌を聴くと心地よい別世界に連れて行かれる。
それは別世界ではあるんだけれど、不思議なことに自分にすごくしっくりくる。
ユーミンは誰にでも起こる普通の出来事やそのときの気持ちを、歌詞と曲の力で洗練された素敵な物語にして見せてくれる人だという気がする。
ユーミンはたくさんの名曲を世に出してきたけれど、まだ私が知らない曲も多いと思う。
先日耳にした「よそゆき顔で」という曲も多分初めて聴いた。
1980年にリリースされた「時のないホテル」というアルバムの収録曲だ。
この曲はメロディーラインが心に残るとても良い曲で、何度か繰り返し聴いたけど、歌詞の意味がすぐにはよくわからなかった。
なので歌詞を検索して読んで考察してみた。
ユーミンの「よそゆき顔で」の歌詞の意味
歌詞を読むと、これは結婚を翌日に控えた若い女性の心情らしいことがわかった。
ユーミンの歌は歌詞にすごく深みがあり、歌詞を理解して曲を聴くと、短編小説を読んでいるような気分を味わえる。
「最後の風を喫いに来た」
「私は明日から変わるんだから 悪ぶってた思い出は捨てる」
というところから
「結婚なんてまだしたくない けれど今日まで流されて」
というところまでで、
歌の主は結婚を控えて覚悟は決まっているにもかかわらず、そこはかとないやるせなさを抱えているように感じる。
結婚というのは個人的なことでありながら公的なものでもあるというか、自分一人の思惑だけで決められるものではないし責任も発生するから、気楽さとは対極のところにある。
なので誰でも結婚前にはある程度の憂うつさは感じるものなのかもしれない
「観音崎の歩道橋に立つ
ドアのへこんだ白いセリカが下をくぐってゆかないか」
というのは、今の心境のようで、
「いく人かのカップルで昔
追い越したり抜かれたり走った」
というのは、昔の思い出らしい。
つまり歌の主の女性は、カーチェイスのような派手な遊びを昔やっていて、そのことを思い出の場所に来て思い出してるわけですね。
「ドアのへこんだセリカ」がその頃の遊びの無謀さをさり気なく表していますね。
ちなみにこの「よそゆき顔で」がリリースされた当時、トヨタの「セリカ」は若者を中心に大人気だったらしい。
今の若者が車などほとんど買えないことを考えると、車を手に入れカーチェイスなどやっていた頃は豊かな時代だったんだと思う。
なんだか本当に別世界ですね。
そしてそんなカーチェイスのことを思い出しながら女性は何を考えていたのか。
「今の相手はかたい仕事と 静かな夢を持った人」
遊び相手とは対象的に、結婚相手は「かたい仕事」の人で「静かな夢」を持っている人らしい。
結婚相手として周囲に喜ばれそうな人ですね。
だけど歌の主はなんだか寂しげ。
「よそゆき顔ですれちがったら いやなやつだとおこってもいい
よそゆき顔ですれちがったら すきなだけ笑って」
「よそゆき顔ですれちがうなら 二度と会えない方がいいのね
よそゆき顔ですれちがうなら それまでだった恋」
よそゆき顔ですれちがうということは、過去の仲間に対して知らないふりをするということのように思えますね。
そして「おこってもいい」「すきなだけ笑って」と言っているのは、以前と同じように振る舞うことができそうにない自分を悲しく思っている?
「二度と会えない方がいいのね」「それまでだった恋」というところも、過去のときめきと決別せざるを得ない寂しい心情が伝わってくるような…。
つまり、遊び仲間の中に恋心を感じた人がいたんですね。
白いセリカの持ち主でしょうか…。
間奏のところで何度も繰り返される「you never know, you never know……」は、直訳すれば「あなたは決して知らない」ですが、その気持ちとしては、恋心を抱いていた相手にその気持を伝えることがついに一度も出来なかったという切なさや心残りが表れているような気がします。
「よそゆき顔」というのはユーミン独自の言い回しですが、それはつまり胸の内を素直に表現出来ないということでしょうか。
自分の心って、自分でも蓋をしたり自分に嘘をついたりして、よくわからなくなる時があります。
自分の本当の気持ちがわかるのは、長い時間を経た後なのかもしれません。
結婚前の女性の覚悟が伝わってくる
こうして「よそゆき顔で」の歌詞全体を何度も読んでみると、
決して長くはない歌詞の中にユーミン独特の深みのある世界が構築されていて、1980年頃の、昭和の時代の女性の結婚前の覚悟というものを感じて切なくなりました。
それは決して浮かれておらず、むしろ寂しげであり、楽しく遊んだ仲間たちと、もう親しく付き合えないような気持ちを描いている。
けじめというんでしょうか。
結婚式の前日に思い出の場所に来て「最後の風」を喫い、ドアのへこんだ白いセリカの幻影を想う。
過去の楽しかった思い出が、確かにそこにあったことを確かめに来て、それと決別しようとしているような感じです。
つまり当時の結婚とは、独身時代の自由気ままで、ちょっと危険でときめく世界に別れを告げることだったのかもしれません。
だからこの曲の女性も、結婚が決まっているにもかかわらず、「結婚なんてまだしたくない」とつぶやいているのではないだろうか。
時の流れと様々な事情で、結婚することが決まってしまい、もう後には引けない。
自分の運命に従う。
そんな覚悟が伝わってきます。
そしてあぶり出されるのは、自分の意志を持ち自分の人生にけじめをつけようとする一途な女性です。
まとめ
ユーミンの「よそゆき顔で」の歌詞の意味を考察してみたら、結婚を控えた女性の切ない胸中を描いたものでした。
結婚前に女性が密かに覚悟を決めるシーンを見ているようで心打たれます。
短くシンプルなフレーズだけで女性の人生のワンシーンを情感豊かに表現できるユーミンはやっぱり稀有な才能の持ち主なのだと思います。
ユーミンが現れた時代はまだ演歌が大ヒットする時代で、フォークソングが流行り始めた頃。
歌の世界では男性目線で書く女心が主流で、「尽くす女」や「捧げる女」という女性像が多かったようです。
そんな中でユーミンは、女性目線で繊細な女心を書き注目を浴びました。
ユーミンの曲は「ニューミュージック」と呼ばれ大ヒットし、その後50年にも渡り人々に愛され続けていますね。
ユーミンの才能もさることながら、女心はいつの時代も変わらないということかもしれません。
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秋の気配を感じる日曜日の昼下がり…今、まさに「よそゆき顔で」聴いてたところでした。
途中で挟む英語詞(you never know 〜)が何て言ってるか知りたくてググったら、このブログに辿り着きました。この頃のユーミンが一番多作にも関わらず、詞曲歌唱全てが天才的だと思います。彼女自身、結婚して姓変えて暫く経った頃で、自身の想いもあるんでしょうね。正隆さんは「堅い」とは言えなくても、「静かな夢」を持った人だったのかもしれませんね。私は訳あって今は独り身ですが、結婚前後は人生最高の時期でした。今はそんな輝いてた思い出さえ辛いですが…
…ちょっと呟いてみましたたぶん同年代
コメントありがとうございます。
私は若い頃あまりにも未熟で何も考えていなかったため、ユーミンの曲の良さを理解できたのはかなり大人になってからでした。
今は唯一無二の存在だと思っています。