2024年6月4日、札幌すすきのホテル殺人事件の初公判が行われました。

 

レッツすすきの 夜景

 

ホテルの浴室で頭部のない男性の遺体が見つかったのは昨年の7月1日。

 

あまりにも猟奇的な殺害方法に、事件当時はセンセーショナルに報じられて

 

犯人は男か女か?外国人か?特殊な訓練を積んだプロか?

などとSNS上でも騒がれました。

 

ちなみに私は『特殊な訓練を積んだプロの外国人』だと思ってました。

 

なぜって、たった数時間の間に成人男性を殺害して首を切断して

証拠も残さず頭部を持ってホテルを去るなんて、

そんなスキルを持った一般人なんかいるわけがないと思ったからです。

 

しかし逮捕されたのはなんと20代の一般女性。

 

その上事件の時は父親が車で迎えに来ていて

その父親の職業が現役の精神科医だという

事実は小説よりも奇なり』とはよく言ったものだと思いました。

 

この父親は一体どんな医師で、なぜ娘の犯罪を容認したのでしょうか?

 

娘が殺人事件なんて起こしてしまったら犯罪者とその家族になってしまって

娘の人生は台無しになってしまうし、

自分の人生も棒に振ってしまうことになるのに…。

 

報道によると娘は長い間家に引きこもっていて精神を病んでいたようです。

精神科医である父としてはそんな娘を溺愛しつつ

社会生活が健全にできるような方向には持っていけなかったのか、

それともそれが無理だったから諦めていたのか…。

 

この「すすきのホテル殺人事件」は

色々なことが謎すぎて常識ではとても納得できないというか、

知れば知るほどなんだか人間が持つ深い闇を感じてしまいます。

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田村修 精神科医としての評判

すすきのホテル殺人事件で男性を殺害し、

首を切断して持ち帰ったとされる容疑者は田村瑠奈(たむら るな)30歳。

(事件当時は29歳)

 

父親は田村修(たむら おさむ)60歳。

 

殺害された男性は当時62歳でした。

 

田村容疑者の勤務先は札幌市にある勤医協中央病院で、

田村容疑者はその中で精神科 リエゾン科 科長だったということです。

勤医協中央病院

 

病院関係者によると、

修容疑者は精神科の科長として、

入院患者のうち精神的ケアが必要な患者の対応を担っていた。

外科的な処置などはしておらず、

解剖に関わる器具に触れる環境になかったという。

 

-読売新聞オンライン

 

「精神的ケアが必要な患者の対応を担っていた。」

ということで、優しく面倒見のいい医師の姿が頭に浮かんできます。

 

外科的な処置や解剖などはしていないということで、

今回の事件に関して物理的には何ら関係していないのだと思われます。

 

瑠奈容疑者がまるで手慣れているかのようにやってのけた荒業は

一体どこで身につけたものなのか…。

 

それとも瑠奈容疑者の狂気による火事場の馬鹿力のようなものなのか

恐怖やためらいの気持ちが1ミリもなかったら、

人間はこんな超人的なこともできてしまうということなのでしょうか。

 

 

修容疑者の40年来の友人という精神科医の男性(59)の話では

「真面目で仕事熱心。社会活動にも取り組み、

多重債務者の人たちなど常に弱者の味方だった

修容疑者は「常に弱者の味方だった」ということで、

やはり心優しく思いやりのある医師というイメージしか浮かんできません。

 

田村容疑者の人となりを知る人たちは皆、

「信じられない」と逮捕にショックを受けていたようです。

 

周囲からは信頼されていた真面目な医師だったんですね。

 

しかしそれは田村容疑者の、「表向きの顔」だったのかもしれません。

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ブログには殺人を肯定するような記述あり

田村容疑者は1998年から2004年ごろまで

「lunanet」のタイトルでブログを書いていました。

 

娘の瑠奈容疑者が4歳~10歳頃の時です。

「lunanet」は娘の名前「ルナ」にちなんだタイトルのようで、

娘への溺愛ぶりがうかがえます。

 

ブログでは日々の生活や趣味のバンド活動などを中心につづり、

瑠奈容疑者についての話も多いようですが

このブログの中に殺人を肯定するかのような記述があるのです。

人間を殺しても悪くない?

以下は修容疑者がブログに書いていた文章です。

再度問われる。

「人間を殺して何が悪い」と。

悪いなどと一言も言ってない。

 

殺した時点で貴方は「人間」ではなく「ヒト」という獣になるんだよ。

それは「人間」としての貴方の自殺行為ですと。

その覚悟があるかと問い返したいのです。

 

「では肉親を殺されたら?」。

その時点で相手は「私にとって」獣です。

獣には獣としてそれなりに応じてあげるのが礼儀ってもんです

 

殺人を肯定しているとまでは言いませんが、

人を殺すことを「悪いとは一言も言ってない」

というのは、医師としてはなかなか思い切った発言です。

 

前後の文章がわからないので何について語っていたのかは不明ですが

ブログというのはある意味公開日記のようなものなので、

修容疑者の独特の価値観や信念みたいなものが滲み出ているような気もします。

人を殺すと獣になる?

「殺した時点で貴方は「人間」ではなく「ヒト」という獣になるんだよ。」

「その覚悟があるかと問い返したい」

 

そう書いているのに、

娘の瑠奈容疑者の殺人に協力した修容疑者。

娘が獣になってもよかったのでしょうか?

獣には獣としてそれなりに応じてあげる

「肉親を殺されたらその時点で相手は私にとって獣。」

「獣には獣としてそれなりに応じてあげるのが礼儀」

 

瑠奈容疑者は男性から不同意性交を強いられたと報道されています。

不同意性交が『魂の殺人』というのは、

精神科医である修容疑者はもちろん承知していたでしょうし

愛する娘をそんな目にあわせた『獣』に「それなりに応じた」ということなのでしょうか。

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田村修容疑者はなぜ娘を『獣』にしてしまったのか?

娘の魂を殺した男性が『獣』だとして

もし娘が報復として『獣』になろうとしても、

娘のこれからの長い人生を考えたら止めるのが親というもの。

 

なぜ修容疑者はそうしなかったのでしょうか。

ノコギリ購入などともに報復の準備をし協力していたなんて、

にわかには信じられません。

田村修は娘を溺愛していた

だいたい想像はつきますが、やはり修容疑者は瑠奈容疑者を溺愛していたようです。

瑠奈容疑者が6歳の時のことですが、

瑠奈容疑者の音声付きフォトフレームを常に携帯していたとか。

 

その事を「親馬鹿グッズ」としてブログに書いていたのですが

娘が目に入れても痛くないほど可愛かったに違いありません。

 

しかしそういう愛し方は娘が幼い頃までで、

ある程度の年齢になれば父親と娘は距離を置くようになるのが健全な関係だと言えるでしょう。

娘のクラブ遊びに同行?

修容疑者は瑠奈容疑者のクラブ遊びに同行し、離れたところで見守っていたと報道されていました。

瑠奈容疑者は当時29歳で立派な大人の女性の年齢です。

これだけでこの親子のちょっと普通ではない関係がうかがえます。

 

そしてそんな中、瑠奈容疑者は被害者となる男性と知り合い

初めて会ったその日に意気投合して親密になり、

瑠奈容疑者と男性はそのままホテルに行くことになるのですが、

その時修容疑者はその場にいながらなぜ止めなかったのでしょうか?

同行していたのは娘を守るためではなかった?

 

もしその時止めていたらそもそも不同意性交を強いられることもなく、

親子で協力して猟奇的殺人に手を染めるという最悪の結果に結びつくこともなかったのでは。

 

最近報道された内容では、

瑠奈容疑者が父親のことを「ドライバーさんと呼んでいた」とありました。

まさかと思いますが修容疑者は、娘に何も言えない使用人のような存在だったのでしょうか。

娘のSMプレイの練習台?

さらにとても信じられない報道もありました。

そして瑠奈被告は修被告とともにすすきのでAさんを「捜索」し、

6月中旬に「発見」すると、7月1日に会う約束を取り付けたという。

 

しかも、その目的は会ってSMプレイをすることで、

以前から「女王になりたい」とSM関連グッズを購入し、

修被告を練習台に見立ててAさんとのプレイを楽しみにしていたというのだ。

 

-集英社オンライン

 

父親を練習台にしてSMプレイ…?

あまりにも異常な世界です。

 

「女王になりたい」ということは瑠奈容疑者がSで

修容疑者がMになって練習したのでしょうか。

いや想像したくはないんですけど…。

 

もうこうなってくると普通の想像力では、

この事件が起こった理由など見当がつくわけがないという気がしてきます。

父親が娘を『獣』にしてしまった理由

田村修容疑者は社会的な地位もあり、周囲からも信頼されていた精神科医でした。

しかし精神科医であるにもかかわらず娘の言いなりになっていた事が不思議です。

 

瑠奈容疑者の成長過程において、娘の異常性に気づきながらも

精神科医という立場上、病院に通わせることも出来ず

父親でありながら娘に支配され、娘に操られてしまったのでしょうか?

 

それともブログに書いていたように独特な世界観で腹をくくっていて、

娘が『獣』になることをあえて容認したのでしょうか。

 

娘への愛、といっても修容疑者の場合、かなり歪んだ愛情のように思えます。

もしかしたら修容疑者は娘の望む事なら何でもさせてあげたい、

どんなことでもすべて叶えてあげたい、という気持ちだったのかもしれません。

 

しかしたとえ瑠奈容疑者が異常性があり社会生活が送れず

大人になっても引きこもり生活を続けるしかない哀れな存在だったとしても、

それはやはり、愚かな親馬鹿だと言わざるを得ません。

 

理性を失うのもまた、『獣』であると言えると思うからです。

 

結局のところ娘だけではなく修容疑者もずっと、

理性を失った『隠れた獣』であったということなのかもしれません。

 

 

 

 

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