3月のWBCで日本代表入りした米大リーグ・カージナルスのラーズ・ヌートバー選手。
侍ジャパンで初の日系選手として試合に出場するや否や瞬く間に話題になり、あっという間に日本人の心を鷲づかみにしました。
その人気はとどまる所を知らず、WBCが終盤に差し掛かった今、ますます強くなっているようです。
ヌートバー選手が侍ジャパンに持ち込んだ「(※)ペッパーミルパフォーマンス」は即時チームに定着し、大きな話題を呼び、チームばかりか観客まで真似をして、おまけに本物のペッパーミル(胡椒挽き器)が普段の数倍売れるという社会現象まで生み出しました。
ヌートバー選手が侍ジャパンの一員としてWBCに出場するために来日したのはわずか半月前。
この短い期間になぜ日本でここまで愛される存在になったのでしょうか?
それはもちろんヌートバー選手の類まれなる身体能力や明るい笑顔など、野球選手としての実力や魅力というのが主な理由なのでしょうが、それに勝るとも劣らない別の理由があると思います。
それは、ヌートバーから溢れ出ている「純粋な日本への愛」です。
目次
ヌートバーのお母さんは日本出身
ヌートバーのお母さんは生粋の日本人で、名前は久美子さん。年齢は57歳。
埼玉県東松山市にご実家があり、ソフトボールの強豪校で有名な松山女子高校卒で、高校時代はソフトボール選手として活躍されていたそうです。
ちなみにお父さんはオランダ系アメリカ人で名前はチャーリー・ヌートバー。年齢は56歳。
久美子さんの一つ下ですね。
お二人の出会いはカリフォルニア・ポリテクニック州立大学。
語学留学生だった久美子さんと、日本語を専攻していたチャーリーさん。
知人の紹介で知り合ったものの、当初はさほど親しいおつき合いではなかったようです。
久美子さんが日本に帰国し、逆にチャーリーさんが日本語を学ぶために日本に留学することになった時、滞在予定のホストファミリーから直前になってキャンセルされるというアクシデントに見舞われたチャーリーさん。
それを知った久美子さんが、「じゃあうちに来る?」と太っ腹な提案をして、それが縁となり結婚にまで至ったという話のようです。
ということはホストファミリーのドタキャンというアクシデントがなかったら、お二人は結婚にまで至らなかったかも?
そしたらヌートバー選手も存在しなかったわけで、改めて運命というものの不思議さを感じてしまいます。
それにしても久美子さんの「じゃあうちに来る?」発言は、久美子さんの度量の大きさや優しさを表しているとともに、同時に久美子さんが暮らしていたご家庭やご両親の懐の深さも伝わってくるような気がします。
いくら娘が外国に語学留学していたとは言え、見知らぬ外国人男性を家に長期間滞在させるというのは、日本の普通の一般家庭では即決できるような簡単なことではないと思いますから…。
母への愛:ヌートバーはお母さんっ子
そんな久美子さんに育てられたヌートバーは、お母さんが大好きなようです。
WBCの侍ジャパンのメンバーに選出された時、
「特に母にとっては特別なこと。僕はママズボーイ(=お母さんっ子)だから、彼女を笑顔にしてあげられるのは、とてもクールなことなんだ。」と、記者を前に語ったというヌートバー。
全母親が泣いた!という見出しを付けたいくらい、素敵なセリフです!
久美子さんもヌートバーのことを「ママっ子だからね。」と人に話しているようです。
ヌートバーにはお兄さんとお姉さんがいて、子供3人の末っ子として育ったんですよね。
きっと家族中に可愛がられていたんだろうし、末っ子の特権でお母さんからの愛情は特別だったでしょう。
幼い頃から、大人になった今もそのまま変わらずママっ子だということなんでしょうね。
ヌートバーはお母さんと離れている現在も毎日のようにテレビ通話をしていて、通話の最後に必ず「アイ・ラブ・ユー」と告げるそうです。
どれだけお母さんのことが好きなんでしょうか!
そんなエピソードを聞くとまるで恋人のようじゃない?と思ってしまいますが、アメリカでは愛の言葉を口に出すのは当たり前らしいので、それは普通のことかも知れません。
でもヌートバーの11年来の彼女・スサナさんは、「彼はお母さんのことが大好き過ぎるの」と友人に打ち明けたことがあるとか!?
「あなたにとってのナンバーワンは、私じゃなくてお母さんよね。」とヌートバーに話したこともあるそうです。
ヌートバーのお母さん愛は、日頃から普通以上に溢れ出ているようですね。
しかし母親と恋人というのは別枠です。比べて順位をつけるようなものではないですからね。
それに大人になってもお母さんが大好きと公言できるってことは、ヌートバーはきっとお母さんのことを幼い頃から尊敬していて、自慢のお母さんなのだと思います。
日本への愛:幼い頃からのリスペクト
「ニッポンダイスキ!ミンナアリガトーー!!」
韓国戦に勝利しヒーローインタビューを終えた後、そう叫んだヌートバー。
(2:20頃~)
これを見てヌートバーを好きにならない日本人はいませんよね。
国籍こそアメリカかもしれませんが、お母さんは日本人だからヌートバーは半分日本人。
だからこそ私たちはヌートバーの日本での活躍が嬉しいし、もともとの彼を知らなくてもヌートバーが日本に来日したというより日本に帰って来てくれたというような感覚すら覚えます。
僕は日本人です
そして当のヌートバーが、幼い頃にオフィシャルな場で「僕は日本人です。」と発言したということで、当時はお母さんの久美子さんも驚いたというエピソードがあります。
2007年、10歳だったヌートバーがリトルリーグのオールスターチームに選ばれた際、選手一人ひとりの自己紹介ムービーを撮ることになり、その時の言葉。
「 こんにちは。僕の名前はラーズ・ヌートバーです。
背番号は21番で、日本人です。
僕は日本を代表してここにいます。」
この自己紹介には久美子さんも、「本気だったのか、冗談だったのか……どういう意図であんなことを言ったのかはわからない。」と述懐されていました。
日本の高校球児達とのふれあい
この前の年に当たる2006年、ヌートバー家では日本の高校球児2名をホームステイさせ、しばらく生活を共にしていました。
ヌートバーは二人と仲良くなり野球の練習にも顔を出し、彼らが帰国する時は号泣したそうです。
このときに感じた日本の高校球児たちへの憧れのようなものがヌートバーをして「僕は日本人です。」と言わしめたのでしょうか。
日本へ里帰り
ヌートバーは幼少期、年に一度はお母さんの実家である埼玉県東松山市の実家を訪れていたそうです。
写真を見ると子供がたくさんいてにぎやかそうですね。おじいちゃん、おばあちゃんやいとこ達と過ごすのは楽しかったことでしょう。
帰る時はいつも「帰らない」と駄々をこねていたとか。
日本的子育て
ヌートバーはアメリカに住み英語を話しながらも、お母さんからは日本的な躾をされていたようです。
久美子さんが子どもたちに口を酸っぱくして言った3つのおきて。
1.時間は守る
2.友達とは仲良くする
3.あいさつはちゃんとする
普段の生活も玄関で靴を脱ぎ、ご飯や味噌汁といった日本食を箸で食べるという生活。
家庭を仕切るのは主に母親ですから日本的な生活になるのは自然なことだと思いますが、父親のチャーリーさんも日本に留学したくらいですから、日本文化に理解があり日本式の生活を受け入れていたのでしょう。
しかし10歳の少年が「僕は日本人です。」と言ったのは、ヌートバー自身が子供心に自分は日本人なんだと、強く感じるに至る何かがあったんだと思われます。
それは、子供の頃毎年のように日本を訪れ久美子さんのご両親でもある祖父母やいとこ達と過ごした経験から感じたことかもしれないし、アメリカのヌートバーの自宅にホームステイしていた日本の高校球児達と過ごした経験から感じたことかもしれません。
まとめ
ヌートバー選手が10歳で「僕は日本人です。」と言ったということは、10歳で早くも日本人としてのアイデンティティーが確立されていたということなのでしょうか。
そうだとしたらそれはひとえに、お母さんはじめ接した日本人や日本の文化に純粋なリスペクトを感じていたからだと思います。
ハーフだけれど幼い頃に自分は日本人なんだと公言し、日本を代表する選手になるという夢を宣言していたヌートバー。
その夢が実現し、日本チームを勝利に導くナイスプレーをして日本人の大歓声を浴びるなんて、本当に奇跡のような凄いことです。
そしてそんなヌートバーを、遠い異国の地アメリカであんなにも好青年に育てあげたお母さんの久美子さんも素晴らしいですね。
すっかり有名になったラーズ・ヌートバーとその母。
これからも同じ日本人として、ずっと応援していきたいです。