2023年のWBCは日本が優勝して大盛況のうちに終わりましたが、各国で視聴率・観客数・グッズ販売が過去最高記録となったそうです。
それもそのはず、まるでシナリオが用意されているかのようにいくつもの見せ場やドラマがあり、最後まで目が離せませんでした。
ドラマは多くの人の感動を呼び、『野球界の勝利』とまで言われたようです。
今回優勝した日本代表(侍ジャパン)は一流選手揃いでしたが、中でも特別な注目を浴び日本で大人気となったのが、カージナルスの日系アメリカ人ラーズ・ヌートバー選手。
WBC前、日本での知名度はほとんどなかった彼ですが、侍ジャパンの一員となったとたん一躍有名になり、試合が進むに連れて超人気者となりました。
アメリカ生まれのアメリカ育ちで英語しか喋れないのに、日本人にこの上ない親近感を感じさせてくれたヌートバー選手。
それは母親が日本人だからというだけではなく、ヌートバー選手自身の振る舞いが日本の心を感じさせてくれるからであり、またヌートバー選手が持つ日本の野球との奇跡的な縁のおかげもあるのかもしれません。
ヌートバー選手は子供の頃、日本の高校球児と出逢い、日本の高校球児に憧れ、自分も日本の野球の代表選手になることを夢見ていたという話は有名になりました。
日本の高校球児との出逢いというのは、一体どのようなものだったのでしょうか。
今回はその話をまとめてみました。
ヌートバー少年 日本の高校球児との出逢い
さかのぼること17年前の2006年のことです。。
日本の夏の甲子園が終わった直後、甲子園で活躍した全国の高校生の選手達から18名の選手を選抜し、アメリカに遠征旅行に行くことになりました。
当時のメンバーは以下の通り。
1.早稲田実 斎藤佑樹
2.駒大苫小牧 田中将大
3.鹿児島工 榎下陽大
4.東洋大姫路 乾真大
5.福知山成美 駒谷謙
6.八重山商工 金城長靖
7.鹿児島工 鮫島哲新
8.智弁和歌山 橋本良平
9.日大山形 秋場拓也
10.駒大苫小牧 中沢竜也
11.智弁和歌山 廣井亮介
12.鹿児島工 今吉健志
13.早稲田実 後藤貴司
14.東洋大姫路 林崎遼
15.今治西 宇高幸治
16.早稲田実 船橋悠
17.駒大苫小牧 本間篤史
18.帝京 塩沢佑太
選手達はニューヨークでヤンキー・スタジアムなど野球にまつわる施設を見学したり、当時ニューヨーク・ヤンキースに在籍していた松井秀喜選手と会ったりした後、ロサンゼルスへ。
ここで現地に住むホームステイ先の家族と対面するわけですが、まさにここで高校球児と子供だったラーズ・ヌートバーが初めて会うことになるわけです。
ヌートバー家にホームステイしたのは早稲田実業の船橋悠選手と、帝京の塩沢佑太選手。
この2006年の全日本選抜米遠征記の様子は当時テレビ番組として放映されたようです。
この動画は遠征前の高校生の記者会見から始まり、全編を通じて主に高校球児とアメリカチームとの野球の試合が、甲子園の決勝戦の印象的なシーンなど交えながら構成されているのですが、動画の途中で高校球児とホームステイ先の家族の出会いの場面が一瞬ですが映されていて、子供の頃のラーズ少年が映っています。
[29:20~ 出迎えのヌートバー家族と高校球児との出会い]
『WELCOME 船橋君 塩沢君』という手作りのウエルカムボードを手に出迎える母親の久美子さん、長女のニコルさん、そしてラーズ少年。
この時ラーズ少年は9歳。
細くて華奢で、挨拶する時はちょっと照れて緊張してるような様子ですね。
母親の久美子さんは今と全く変わらないイメージで、あくまでも明るく朗らかです。
見るからに日本人の久美子さんにこんな風に満面の笑顔で「ラーメン好きなんでしょ?OK、OK!」なんて言われて出迎えられたら、お世話になる高校生も親しみを感じて安心したでしょうね。
こちらも貴重な動画です。
日本球児対アメリカチームの第3試合の様子の動画ですが、注目すべきはチラリと映り込むバットボーイ。
ラーズ・ヌートバー君がバットボーイとしてバットを片付けたり、試合終了後日本選手と握手したりする様子が映っています。
[0:52~ 【9歳のヌートバー選手】 バットを片付ける]
[2:17~ 【9歳のヌートバー選手】 バットボーイを終えた表情]
[2:34~ 【侍J栗山監督】 当時は取材者(白シャツ姿)として現場に]
なんと、栗山監督までがこの動画に映っていました!
この試合は引き分けとなりましたが全5試合の結果、日本は3勝1敗1引き分け。
ラーズ少年はバットボーイをやりながら日本の野球の強さを目の当たりにしていたんですね。
ラーズ少年と日本の高校生選手とは家で寝食をともにしながら、日米親善試合でも同じ場所にいたということで、一週間ほどの短い期間ではあったようですが、特別な親しい関係を築けていたようです。
右端は塩沢佑太君。左から二番目がラーズ少年。
右:塩沢君 中央:ラーズ少年 左:船橋君
斎藤佑樹君と肩を組むラーズ少年
田中将大君とラーズ少年
高校球児たちとラーズ少年
高校球児とラーズ少年 練習風景
こうして見ると、本当に楽しく充実した日々を過ごしたようで、和やかな雰囲気が伝わってきますね。
ヌートバー少年 日本の高校球児との別れ
楽しい時はあっという間に終わってしまうもので、別れの日は嫌でも訪れます。
ホームステイしていた船橋君や塩沢君が帰る時は、空港で大泣きしたというラーズ少年。
船橋君には手紙を書いて渡していたようですが、その手紙の文字は9歳の男の子にしてはとてもきれいです。
『来てくれてありがとう、船橋くんを迎えることができてすごくいい時間だった。もっと一緒にいてほしい。また会える時を楽しみにしています。また来てください』
素直な気持ちをストレートに表現した、心がこもった温かい手紙ですね。
ヌートバー少年日本の高校球児への憧れ
日本球児たちと過ごした短い日々は、ヌートバー少年にとっては人生に大きく影響するほど意味のある貴重なものだったようです。
高校球児と別れた翌年、10歳のヌートバー少年はリトルリーグのオールスターに選ばれ、自身の紹介ビデオで
「My name is Lars Nootbaar。NO21。I`m Japanese」(私はラーズ・ヌートバー。背番号21。日本人です)
「I`m representing my country Japan」(私は自国の日本を代表しています)と発言しています。
完全に日本の野球選手になりきっているようですね。
それほど日本の球児たちがヌートバー少年に与えたものが大きかったんだと思います。
しかし家族に笑われたというこの言葉がやがて現実になるなんて、一体誰が予想できたでしょうか。
まとめ:侍ジャパンの奇跡
ラーズ・ヌートバーを日本代表・侍ジャパンのメンバーとして選出したのは栗山英樹監督(61)。
結果的にヌートバー選手は日本で大人気となったし鮮やかなナイスプレーの数々で侍ジャパンのWBC優勝に大きく貢献したわけで、栗山監督の判断は正しかったというわけですが、ヌートバー選手を選出するに当たっては「正直、すごく迷った。」そうです。
迷いながらも、決め手になった理由は二つ。
一つは、初めてオンライン面談をした際「冒頭、いきなり“J”の帽子をかぶってニッコリと現れた」ヌートバー選手に心奪われたこと。
「凄いいいやつ」「めっちゃいいやつだな」と感じたそうです。
そしてその“J”の帽子とは、日本球児たちが少年だったヌートバーにサインをして贈ったたものでした。
ヌートバー選手は大切にとっておいたんですね。
この“J”の帽子のパワーがヌートバー選手をより魅力的に見せたのかもしれませんね!
もう一つの理由は、斎藤佑樹氏から聞いて知ったヌートバーとの縁。
2006年、日本の高校球児たちが米国遠征して親善試合をしている時、栗山監督は当時取材者として現場にいたのですが、その時少年だったヌートバーがバットボーイとして同じ現場にいたことは知らなかったようです。
ヌートバー選手を侍ジャパンのメンバーとして選びたいと表明していた時に、斎藤佑樹氏から「監督、知ってます?」と言われ、写真を送られて初めて知ったとのこと。
その縁を知ったことで「僕はそこで決定というか。その縁は絶対大事だと思った。いくぞ!と思いました」と選出を決めたそうです。
「そんな縁のある人は必ず何か意味があるというか、僕はそう思った。能力的にはあると思っていた」
なんだかまるでヌートバー選手が侍ジャパンのメンバーとなり日本が優勝することは運命として初めから決まっていたのではないかと思ってしまうような話ですね。
ヌートバー少年が『自分は日本人で、日本を代表する』と言ったことが様々な縁を通して実現したかのようです。
そうだとしたら、ヌートバー少年の憧れとなった2006年の高校球児たちも、今回のWBC日本優勝に大きく貢献しているということになりますね。
栗山監督は侍ジャパンの選出に当たり「皆が夢を持てるチームを作るのは大きな使命だった」とおっしゃっていましたが、今回の侍ジャパンはまさに皆が夢を持てる最強のチームでした!