皆さん、「いやいやえん」を覚えていますか?
真っ赤な表紙の、児童書にしてはやや厚めの本。
表紙にはバケツを手に下げたクマと男の子が向かい合っている可愛い挿し絵。
お話は姉の中川李枝子さん、挿し絵は妹の山脇百合子さんが描かれている、姉妹共著の児童書です。
子供の頃読んだ覚えのある方や、長年のファンだという方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
なにを隠そう私もその一人で、小学校低学年の頃この本が大好きで、この中の「おおかみ」の話をピックアップして自分で紙芝居を作り、クラスのお楽しみ会で発表した覚えがあります。
あまりにも昔のことなので詳細は覚えていないのですが、おおかみの家の中の家具や生活道具がなにげに可愛くておしゃれで、真似して描くのが楽しかったことをよく覚えています。
他にも主人公のしげるくんが無理やり着せられる「ももいろのワンピース」もお姫様のドレスみたいで憧れたし、ある日突然保育園に編入してくるクマの子どもも愛嬌があって可愛いかった。
山脇百合子さんが描く優しさあふれる挿し絵は、子供心を楽しさと温かさで満たしてくれるような、憧れの世界でありました。
そんな山脇さんの訃報が耳に入ってきたのはつい先日。
2022年9月29日、80歳でお亡くなりになったとのことです。
山脇さんの描く絵は、大人になってからもずっと好きでした。
心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。
あらためて調べてみると、この童話「いやいやえん」が発行されたのは1962年。
当時、姉の中川さんは27歳。妹の山脇さんはまだ学生で21歳でした。
ロングセラーを誇る偉大な児童書は、20代の若き姉妹の手によって作られ、この世に誕生したってことですね。
お二人が若かったことも驚きなのですが、注目すべきはこのお二人が生まれ育った時代、日本はまだ戦争中だったということです。
このことがわかった時、とても意外な感じがしました。
あの平和な時代の子どもの心そのものを描いたようなお話や、癒し系そのものの温かな挿し絵。
それと戦渦をくぐり抜けてきた幼い姉妹というのはどうしても結びつきません。
「いやいやえん」が誕生するまで、一体どんな歴史や背景があったのでしょうか。
長年の一ファンとしてまとめてみました。
姉妹のプロフィール
姉:中川李枝子
1935年 札幌生まれ
1955年 東京都立高等保母学院卒業
1959年 美術家中川宗弥氏と結婚
1962年 童話集「いやいやえん」を福音館書店より発行
1963年 「いやいやえん」でNHK児童文学奨励賞・サンケイ児童出版文化賞・厚生大臣賞・野間児童文芸賞推奨作品賞受賞。
東京在住
保母学院を卒業後、みどり保育園に17年間勤務。
主任保母として働くかたわら絵本の創作を続ける。
「いやいやえん」は、中川李枝子さんの保母としての経験をもとにして生まれた物語だったんですね。
妹:山脇百合子
1941年 東京生まれ
1962年 「いやいやえん」に挿絵を描く
1963年 姉とともに「ぐりとぐら」を発表
1964年 上智大学外国語学部フランス語科卒業
1966年 結婚し山脇百合子となる 3児の母
2022年 死去 80歳没
高校生の頃から童話の挿絵や絵本の仕事を多く手がける。
1960年代なんて、まだ「イラストレーター」という言葉すらなかった時代。
この頃に学生でありながら絵の仕事をしていたなんて、よっぽど秀でた才能があってそれを周囲に認められていたということでしょうね。
それにこの時代に上智大学のフランス語科卒なんて、かなりの才媛だったに違いありません。
山脇さんの描く挿し絵の、家具や生活道具が可愛くておしゃれなのは、フランス語を学んでいた=フランス文化が好き。であることと関係があるんじゃないかな?なんて私は勝手に思ってしまいました。
姉妹の家庭環境
お二人がそれぞれ保母や挿絵画家として活躍されていた時は、世の中の若い女性はまだ仕事を持つことが珍しかった時代。
戦後の経済成長著しい時期で、「男は仕事に行き、女は家庭を守る」という価値観が主流だった頃です。
そんな中若くして作家としての地位を築いた姉妹は、ご両親にどんな育てられ方をして、どのような子供時代を過ごされたのでしょうか?
姉の中川李枝子さんがご自分の人生について語っている記事がありました。
父も母も本好きでしたね。父は学者でしたから、とにかく本をたくさん買う人で。「家にある本はどれを読んでもいい。俺が買った本に悪い本はない」って日頃から言っていて、子どもたちも何を読んでもよかったのよ。
ゾラやエミリー・ブロンテ、ロマン・ロランを読むようになって、男になんか頼らないで自活できる女になろう、って思いはますます強くなっていって。自分は花嫁修業なんか一切やらないで、ちゃんと仕事を持って生きていこう、って“女の一生”について自分なりに色々考えていたのよね。
引用:HUFFPOST
中川李枝子さんは小学校2年生の時にオルジェスコの「寡婦マルタ」という小説を読み、それは夫の急死で幼い娘を抱えて生活に困窮し転落していく女性マルタの悲惨な物語なのですが、それを読んで「女といえども、世の中に通用する仕事を持つべきだ」と強く思ったんだそうです。
小学校2年生で…。
戦時中で、生と死が隣り合わせという暗い時代に生きていたからでしょうか?大人すぎます。
しかし幼い女の子に人生を考えさせ生き方を決めさせるのですから、本との出会いというのもまた運命だと言えるのかもしれません。
結局、読みに読んで行き着いたのは「子ども」の本なの。自分の子ども時代が惨めだったから、いろんな国の子どもたちの、いろんな子ども時代のお話を読むことで、もう一度自分自身が生き直したような、そういう満足感を得ることができた。なぜ戦争はいけないのか? 家庭が大事なのか? そういう今までわからなかったことが段々とわかるようになってきたんです。
そんな風にいい本をたくさん読んだおかげで、人間にとって大事なことを自分なりに掴んだんじゃないかしらね。
引用:HUFFPOST
読書することで人間にとって大事なことを掴んだという中川さんですが、それはやはり読書が生活の一部になっていた家庭環境のおかげとも言えるかもしれません。
うちじゃ、遊び相手とか勉強をみるとか、洋服着せるとか、お風呂に入れるとか、子どもの面倒みるのは父親の仕事だった。
それから、たくあん漬けるとか、何でもやりたがる。理論を戦わして。
引用:ふくふく本棚
姉妹の父親は、当時の男性としてはかなり珍しいタイプの方だったようです。
亭主関白、男尊女卑が当たり前で、「男子厨房に入るべからず」と言われていた時代に子どもの面倒を見たりたくあん漬けたりするなんて、きっと柔軟で自由な精神の持ち主だったに違いありません。
そんな父親の妻であり読書家だったという母親もまた、同じような柔軟な価値観の持ち主だったのでしょうね。
考えてみればお二人の名前、「李枝子」「百合子」というのも、文学的で素敵な名前です。
お二人が生まれた当時の、女の子の流行りの名前を調べてみたら、「和子」「幸子」「久子」「節子」などでした。
やはりちょっとひと味違う感じがしますね。
デビュー作「いやいやえん」の根底に流れるもの
「いやいやえん」のお話自体は、保育園の日常と空想の世界が織り交ざり、ファンタジーなのに現実のような、まさに子どもの空想の世界に遊びに行っているような気にさせてくれる物語です。
山からこぐまがやってきて保育園の園児になったり、おおかみが主人公の男の子を食べようとして奔走したり、魔女のようなおばあさんがいる無法地帯のような保育園(いやいやえん)があったり…。
そこには教訓的なオチは一切ありません。
ただ自由に羽ばたく子どもの心と、周囲の人や動物との交流が新鮮な驚きとともに描かれているだけです。
そういえば私も、子どもの頃こんなことを無限に考えて遊んでいたなあ。
子どもの頃はよくわからなかったけれど、「いやいやえん」を大人になってから読み返してみると、また違う発見があって面白いです。
保母として17年間、幼い子どもと接してきた中川さんの子どもを見つめる眼差しが、この「いやいやえん」の物語にそのまま投影されているように思えます。
子どもにはありのままの姿でいてほしい。
自由な心が素晴らしい。
そんなメッセージが根底に流れているような気がします。
まとめ
60年間の長きに渡り愛されてきた児童書「いやいやえん」。
この本は幼い頃から読書で世の中や人生について学び、自立を決心して保母となったしっかり者の姉と、学生の時から絵の仕事をしていた才能あふれる妹が協力しあって作った作品でした。
60年も前に書かれた物語とはとても思えません。
なぜなら今読んでもまったく古い感じがしないからです。
子どもの心はいつの時代でも変わらないんですね。
また、それを包み込むように見つめる大人のまなざしも、同じようにいつの時代も変わらないということなのでしょう。