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1980年代にスペインで活躍し、数々の賞を受賞した画家の落合皎児さん。

 

晩年は長野市松代町にアトリエを構えて活動していましたが、突然の自宅の火災で皎児さんは亡くなってしまいました。

 

享年76歳。

タバコの火の不始末が原因ではないかと言われています。

 

皎児さんは妻と離婚してから再婚もせず、ずっと1人で芸術作品を描き続けていました。

 

皎児さんの描く作品は抽象的なものが多いのですが、妻をイメージして描いたものも多くあるようです。

 

今回はそんな落合皎児さんの妻を取り上げます。

 

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【画像あり】落合皎児の妻はどんな人だった?

落合皎児さん夫妻が知り合ったのはスペインでした。

スペインで結婚して長男の陽介ギフレさんを出産。

 

陽介ギフレさんが4歳になるまでスペインで親子3人で暮らしていました。

 

その頃が陽介さんいわく、

「家族全員がひとつ屋根の下に暮らした唯一の時期」

ということで、写真からは温かな雰囲気が伝わってきます。

超美人の妻・茂子さん

皎児さんの妻の名前は茂子さんといいます。

 
 
 
 
 
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上は生まれたばかりの落合陽介ギフレさんと父・落合皎児さん、母・茂子さんの3人で写った貴重なショット。

茂子さんは超美人でまるで女優さんのようです!

ここで過ごした4年間が家族全員が一つ屋根の下に暮らした唯一の時期で、幸せそうな父や母との写真が撮られたのもこの場所。

―落合陽介ギフレ インスタグラム

落合陽介ギフレさんと母茂子さん 父の絵の前で

掲載した写真は昔から大好きな母と僕のツーショット。
母の佇まいに母らしい優しさと凛々しさがよく現れていて、とても気に入っていた。

―落合陽介ギフレ インスタグラム

 

―落合陽介ギフレ インスタグラム

 

写真に記載されている文字から、1980年代にバルセロナで暮らしていた頃の茂子さんと陽介さんの微笑ましい写真の数々。

撮影者は父であり夫である皎児さんだと思われます。

 

茂子さんの表情は穏やかで、自信に満ちているように見えます。

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精神を病み孤独な最期?

陽介さんが4歳の頃、家族3人で日本に帰国。

 

帰国してすぐ、次男が生まれます。

陽介さんとは5歳違いの弟です。

 

しかし日本に帰国してからの茂子さんは、幸せだったとは言い難い暮らしだったようです。

 

悠然と絵ばかり描いている皎児さんに茂子さんは苛立ちを隠せず、言い争いが絶えなかったとか。

 

想像するに

 

創作活動に没頭する夫と現実的な妻

 

という感じだったのでしょうか?

家庭内別居する家族

母、陽介さん、弟さんの3人と皎児さんとは同じ敷地内の別の建物で別居していました。

 

茂子さんは、

「父親とは付き合うな」

 

と陽介さんに言っていたそうです。

 

子どもにとってはなかなか辛い状況ですね…。

 

さらに茂子さんは皎児さんの母(姑)ともあまり折り合いがよくなかったようです。

 

陽介ギフレさんのインスタグラムで、家族の関係性が垣間見えるような箇所がありました。

12歳の頃両親が離婚した頃のこと。

なんとなくおばあちゃんに会いたくなって祖母家に行った時、家の中で親父とおばあちゃんが言い合いをしていて、、

親父「おれには茂子(僕の母)が必要なんだ!」

祖母「嫌だよあんな怖い人!」

云々

期せずしてこの2人の会話を盗み聞きしていると、そのどちらにも幻滅してきて、話しかけることもなく帰宅した。

 

落合陽介ギフレInstagram

ただこの時の皎児さん親子の会話で皎児さんが「おれには茂子が必要なんだ!」と言っていることから、皎児さんは離婚は望んでいなかったのだと推測されます。

離婚後妻は精神病に

しかしまもなく夫婦は離婚。

陽介ギフレさんは中学校から実家を出ています。

 

茂子さんは精神病を患い社会生活ができなくなり、陽介さんの弟さんは13歳で児童養護施設に身を寄せることに。

 

両親が離婚、母は精神を病んでいるということで、弟さんの面倒を見る人がいなくなったということでしょうか。

 

このことは思春期の弟さんの心に大きな影を落としたのかもしれません。

自ら命を絶った次男

陽介ギフレさんの弟さんは20歳のときに自ら命を絶ってしまいます。

どんな事情があったのか、詳しいことは不明です。

 

親にとって、子供に先立たれるほど辛いことはありません。

母茂子さんはその11年後に65歳で孤独死してしまいます。

まとめ

落合皎児さんの妻、茂子さんはとても美しい方でした。

 

しかし皎児さんの母親が嫁である茂子さんのことを「あんな怖い人」と批判していたり、また茂子さんが息子の陽介さんに対して「父親とは付き合うな」と言っていたことなどから推測するに、気の強い女性でもあったのかもしれません。

 

長男である陽介さんをスペインで生み育てていた頃は、とても幸せそうに見える写真がたくさん残っています。

 

しかし日本に帰国し次男を生んだ後、夫婦仲は悪化し離婚してしまいました。

 

茂子さんを襲った精神病というのが具体的にどういうものなのかわかりませんが、次男の死という不幸も重なり精神的にも肉体的にも限界だったのでしょうか?

 

茂子さんは孤独死という悲しい最期を迎えました。

 

歴史にifはありませんが、茂子さんを愛し作品にもそのイメージを描いていたという画家の皎児さん。

 

もし夫婦が離婚せずに支え合っていたら…と想像せざるを得ません。

 

落合皎児さんはなぜ亡くなった?についてはこちら ↓

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