
2025年秋ドラマとして話題を呼んだ『良いこと悪いこと』。
その最終回(第10話)のラストシーンが、SNSや考察界隈で「衝撃と希望が同時に訪れた名シーン」として高く評価されています。
特に注目を集めているのが、体育倉庫に閉じ込められた高木花音のもとに現れた“助けた人物”は誰だったのか?という点。
映像では顔は映らず、声のみが聞こえる演出となっており、視聴者の間でさまざまな考察が飛びかいました。
この記事では、その人物の正体に関する有力説と、そこに込められたメッセージを深掘りします。
目次
最終回のドアを開けた人物の正体は?
最終回のラスト、高木将(キング)の娘・花音が、学校の備品倉庫に閉じ込められるという事件が発生。
父・高木と同じく“閉じ込め”といういじめの被害を受けたことで、視聴者は「いじめの連鎖は止まらないのか…」と絶望的な気持ちに包まれました。
しかしその直後、ドアが開き、「大丈夫?」と声をかけてくる男子生徒が登場。

TikTokより
顔は描かれないままエンドロールへと突入する――という、意味深な終わり方を迎えます。
SNSではこの“声の主”についてさまざまな考察が投稿され、その中でも最も有力とされているのが、「リョーマ」という花音のクラスメイトの男子であることがほぼ確定という見方です。
花音が喧嘩した男の子=リョーマであることがほぼ確定
第8話〜9話あたりで描かれていたエピソードのひとつに、花音がクラスの男の子と喧嘩していた描写がありました。
このとき花音は、自分からは素直に謝ろうとせず、父・高木に「謝るのが“良いこと”だ」と諭されてから謝罪に向かいます。
この何気ないエピソードに対し、最終回後にはこんな声が上がりました。
・「謝ったことが伏線になってたなんて鳥肌…」
・「キング(高木)が花音に教えた“良いこと”が、彼女を救う結果になったの泣ける」
・「花音を助けたのは、あのときの男の子だよね。親子でいじめの連鎖を止めた」
・「キングがいじめを止めた。だからこそ、次の世代で“助ける”が選ばれた」
この考察が支持されている理由は、「誰かが謝ることで関係が修復され、最終的に“助ける行動”につながった」という、ドラマのテーマを象徴する流れだからです。
つまり、高木が“良いこと”を選んだ結果、それが花音にも受け継がれ、さらに周囲の子どもにも影響を与えた。
そんな“わずかな良いことの変化”を示すための伏線として、花音の謝罪シーンが機能していたという見方が広がっています。
因果応報とわずかな希望の対比が込められたラストシーン
『良いこと悪いこと』というタイトルの通り、このドラマは「良いこと」と「悪いこと」が表裏一体であること、そして選択が未来を変えることを繰り返し描いてきました。
最終回では、父・高木が過去に加担していたいじめの事実が明かされ、それによって人生も社会的立場も崩壊。
いわば“悪いことの報い”=因果応報を描いたわけですが、その直後のラストシーンでは、“わずかな良いことの芽生え”が描かれます。
花音が閉じ込められた場所で、誰かがドアを開ける――この行動は、過去の園子が閉じ込められて助けを得られなかった状況との対比になっており、
「同じ出来事が起きたとしても、今度は誰かが助ける世界になったかもしれない」
というわずかな変化と希望の兆しとして演出されているのです。
「良いこと悪いこと」Hulu10.5話
なお、最終回直後にHuluで配信された「第10.5話(エピローグ)」では、花音が閉じ込められる場面の続きは描かれず、むしろ高木がその倉庫を自ら塗り直すシーンが登場します。
これにより、「過去を塗り替える」という象徴的な意味も加わり、視聴者の間ではさらなる深読みや考察が進行中です。
ただし、誰がドアを開けたのかの“明確な答え”は出されておらず、あくまで視聴者に委ねられた構成となっています。
まとめ|「ドアを開けたのは誰?」はわずかな希望を象徴する仕掛け
ドラマ『良いこと悪いこと』最終回のドアのシーンは、伏線を重ねた末の静かなクライマックスでした。
・花音が助けられたのは、かつて喧嘩したクラスメイト=リョーマであることがほぼ確定
・花音の謝罪が“良いことの選択”のきっかけになっていた
・キングがいじめを止めたように、花音の世代も“助ける”を選んだ可能性
・ドアが開く演出は、過去と未来をつなぐわずかな希望の兆し
直接的な説明を避けつつ、視聴者の心に問いかけるような結末は、多くの反響を呼びました。
『良いこと悪いこと』は、社会派ドラマでありながら、深い人間性とわずかな希望を描いた作品として、2025年ドラマの中でも記憶に残る1作になったことは間違いありません。
