YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は言わずと知れた、日本において「テクノポップ」というジャンルを根付かせた偉大な音楽グループです。

 

YMO画像

結成は1978年。

まだ日本がのんびりしていて、スマホやパソコンどころか、ファックスすら一般には普及していない時代に、シンセサイザーなどの電子楽器を使用した音楽でテクノブームを巻き起こし、一世を風靡しました。

彼らが現れた時の衝撃や、その斬新さを覚えてらっしゃる方も多いと思います。

YMO

5年後の1983年に、YMOは一旦散開(解散)しますが、その後も再結成したり、休止ののち共演したりを繰り返し、直近では2019年に、BSプレミアムにて3人でYMOの曲を演奏をしました。

 

このYMOのメンバー内で、細野晴臣さんと坂本龍一さんが不仲で、高橋幸宏さんがまとめ役だったという話があります。

ただの噂だったのでしょうか?それとも実際にそうだったのでしょうか?

 

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細野晴臣と坂本龍一は不仲だった?

細野晴臣と坂本龍一は仲が悪かった。だからYMOは解散した。

そんな噂が世の中にあるようです。

しかし当時のYMOは、全国ツアーと海外ツアーを行い人気は最高潮で、世の中に対する影響力が多大な存在になっていました。

レコード会社との契約や、ビジネス上の問題もあったでしょう。

個人的に仲が悪かったから解散したとか、そんな単純な話ではないと思います。

君に、胸キュン画像

ただ、メンバーが全員それぞれ強い個性と才能の持ち主であったことは間違いありません。

 

ともに活動をすれば、その強い個性がぶつかり合うわけで、プロデュースの方針の違いなどから坂本龍一さんと細野晴臣さんが険悪になった場面は確かにあったようです。

しかしそれはともに音楽を追求する人間として、またビジネスパートナーとして、避けることが出来ない対立だったのだと思います。

坂本龍一のこだわりの強さ

坂本龍一画像

坂本龍一さんの若い頃は好き嫌いが激しく、かなり尖っていたらしく、日本武道館で「(さっさと)演奏やれ!」と観客に野次られて、「うるせーぞ、この野郎!」と怒鳴り返したというのは有名な話のようです。

坂本龍一さんは見た目は寡黙そうに見えるので、ちょっと意外ですね。

 

そのほか坂本龍一さんの”好き嫌い”について、特筆すべきエピソードがありました。

坂本さんはジャージが大嫌いで、ジャージをはいていた友人と絶交したことがあるそうです。

坂本 あのね、僕はね、
ちょっと音楽に関係ないんですけど、
ジャージをはいてる人が嫌いなんです。
糸井 (笑)。
坂本 よくコンビニとかにいるじゃないですか。
糸井 います。
坂本 そのジャージはいて
コンビニにいる文化ってかなり長いと思う。
糸井 長い、長い。
坂本 25年くらい。
それで、昔よく遊んでた友達がある日
ジャージはいてたんで、
その瞬間、絶交しました。
糸井 ああー‥‥。
坂本 ほんとに嫌いなんで。
僕の前でみんなはかないでね。

引用:ほぼ日刊イトイ新聞 2006/11/16

 

ジャージが大嫌いだからジャージをはいていた友達と絶交した!?

これは驚きです。ジャージの友達はさぞ困惑したことでしょう。

 

この坂本さんのとった行動を、どう理解すればいいのでしょうか。

そもそもジャージが大嫌いというのが、私のような凡人にはよくわからないんですが…。

とりあえず坂本龍一さんは美意識がメッチャ高く、人に厳しいということは間違いなさそうです。

 

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高橋幸宏が潤滑油の役割?

高橋幸宏さんは、そんな奇才(坂本龍一)と天才(細野晴臣)をつなぐ緩衝材として、YMOに欠かせない存在だったようです。

高橋幸宏画像

自身は凡人を自認し、まとめ役を担い、才能がぶつかり合う坂本龍一さんと細野晴臣さんをうまくもり立てていた。

 

確かに坂本龍一さんと細野晴臣さんは”孤高の人”っていう感じがします。

三人が三人とも孤高の人だったらチームはバラバラになってしまいますが、そこはうまくしたもので、高橋幸宏さんには柔軟性があったということでしょう。

高橋さんが二人の間を取り持っていたから、YMOはうまくいっていたんでしょうね。

 

追記:YMOの人間関係について、坂本龍一さんが語っているインタビュー記事がありました。

坂本龍一

――細野さんとは緊張関係があるようですが、馬が合わないのですか。

「いえ、そういうわけではありません。

ただ、何かと一番年下の高橋さんが、僕と細野さんの間を取り持とうと、右往左往する場面が多かった気がします。

細野さんからは『君は日本刀の抜き身のようで危ないから、その刃をサヤに収めてくれないか』なんて助言されたこともある。」

2018/10/12

NIKKEI STYLE

エンタメ!裏読みWAVEより引用

 

まとめ

細野晴臣さんと坂本龍一さんは、不仲だったというわけではありません。

ともに音楽活動するにあたり、意見が異なり衝突していた、ということで、それはごく自然なことです。

その証拠に、解散した後も何度も共演したりアルバムに参加したりしていますからね。

 

ただ、高橋幸宏さんが二人の潤滑油の役割だったというのは、本当のようです。

YMOのステージ衣装も手掛けていたという高橋さんは、YMOのまとめ役。

メンバーになくてはならない存在でした。

 

残念ながら2023年1月、病魔に勝てず亡くなってしまいましたが、その惜しむ声の多さから、あらためて高橋幸宏さんの影響力の大きさを感じています。

心よりご冥福をお祈りします。

 

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