アイキャッチ画像 美輪明宏と三島由紀夫

 

美輪明宏さんと三島由紀夫さんは、日本の芸能史や文学史の中でも特別な関係としてたびたび語られてきました。

 

恋人同士だったの?」「三島由紀夫さんが美輪明宏さんに恋をしていた?」と気になって検索する人も多いようです。

 

実際には、美輪さん本人が何度も恋愛関係を否定する一方で、二人の間には深い信頼関係や数々の印象的なエピソードが残されています。

 

では、二人は実際にどのような関係だったのでしょうか。

 

この記事では、二人の出会いから恋愛説の真相、そして三島由紀夫さんが残した最後の言葉や、美輪明宏さんへ改名した理由まで詳しく整理していきます。

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美輪明宏と三島由紀夫の出会いと関係性

まずは、二人の出会いから見ていきましょう。

 

美輪明宏さんと三島由紀夫さんが初めて出会ったのは、1951年頃とされています。

 

当時、美輪明宏さんはまだ「丸山明宏」の名前で活動しており16歳、三島由紀夫さんは26歳でした。

 

二人は銀座の喫茶店「ブランスウィック」で知り合い、その出会いが長年にわたる交流の始まりとなります。

美輪明宏と三島由紀夫 若い頃

美輪明宏(左)と三島由紀夫 PublicDomain – Wikimedia Commons

 

当時の美輪さんは、その中性的で圧倒的な美しさから多くの文化人や芸術家の注目を集める存在でした。

 

三島由紀夫さんも例外ではなく、美輪さんを見た瞬間に強い衝撃を受けたと伝えられています。

 

その後、三島さんは美輪さんが出演していたシャンソン喫茶「銀巴里」に足繁く通うようになりました。

 

初対面では、美輪さんの機転の利いた受け答えも印象的だったそうです。

 

愛想のない態度を取り三島さんから「可愛くない子だな」と言われた際、美輪さんは「可愛くなくてもいいんです。僕は綺麗ですから」と返答。

 

このやり取りに三島さんは感心し、知性や感性にも強く惹かれていったと語られています。

 

 

二人は文学や芸術、美意識について語り合う時間を重ね、単なる芸能人と作家という関係を超えた深い交流を築いていきました。

 

政治的な考え方は対照的でしたが、お互いの才能や価値観を尊重し合う姿勢は最後まで変わらなかったとされています。

 

また、美輪さんは三島由紀夫さんの美意識や内面の葛藤を理解できる数少ない存在だったともいわれています。

 

だからこそ、周囲からは「特別な関係」と見られることが多く、日本文学史や芸能史を語るうえでも欠かせない二人になったわけですね。

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美輪明宏と三島由紀夫の恋愛説は本当?

多くの人が気になっているのが、恋愛関係だったのかという点です。

 

この噂が広まった理由は、三島由紀夫さんが美輪さんへ向けて残した数々の言葉にあります。

 

代表的なのが、

「君の欠点は俺に惚れないことだ」

という有名な一言です。

 

さらに、

「雨の日の俺の後ろ姿を見てみろ、かわいそうだろ」

と冗談交じりに語ったエピソードも知られています。

 

こうした発言から、三島さんが美輪さんへ特別な感情を抱いていたと考えられるようになりました。

 

一方で、美輪明宏さん本人は、インタビューや回想録などで「恋愛関係ではありません」と繰り返し語っています。

 

美輪さんは三島さんについて「尊敬する大切な友人」「精神的な理解者」と表現しており、恋人ではなかったことを明言しています。

 

また、「立派な人は恋愛対象にならない」と笑いながらかわしたエピソードも有名です。

 

そのため、現在では「三島由紀夫さんが美輪さんに強い憧れや恋慕のような感情を抱いていた可能性はあるものの、実際に恋愛関係だったことを示す証拠はない」という見方が一般的です。

 

三島さんは美輪さんの美しさを「天上界の美」と称賛し、自伝の序文を執筆するなど、公私にわたって支援していました。

 

二人の関係は恋愛という一言では語り切れない、知性や芸術性で結ばれた特別な友情だったと言えるでしょう。

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最後の別れと改名に込められた思い

二人の関係を語るうえで欠かせないのが、最後の別れです。

 

1970年11月、三島由紀夫さんは自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説を行った後、自決という衝撃的な最期を迎えました。

 

その約1週間前、美輪明宏さんのもとを三島さんが訪れていたことは、非常に有名なエピソードです。

 

当時、美輪さんは日劇で公演中でした。

 

三島さんは数百本ものバラの花を抱えて楽屋を訪れ、普段と変わらない様子で世間話をしたといいます。

 

そして帰り際、

「もう君の楽屋には来ないからね」

という意味深な言葉を残しました。

 

その時は美輪さんも深く考えなかったそうですが、後になって振り返ると、自決を決意した三島さんなりの別れのあいさつだったのではないかと語っています。

 

三島由紀夫さんの死後、美輪さんは深い悲しみを抱き続けました。

 

その後、1971年に読経をしていた際、「美輪」という文字が神託のように現れたことをきっかけに、「丸山明宏」から「美輪明宏」へ改名したと語っています。

 

改名の直接的な理由は、この神秘的な体験によるものとされています。

 

一方で、三島由紀夫さんの死は美輪さんの人生に大きな影響を与えた出来事でもあり、改名には三島さんへの感謝や追悼の思いも込められていたと受け止められることがあります。

 

二人は政治的な立場や思想には違いがありました。

 

それでも互いの才能を認め合い、最後まで深い敬意を持ち続けたことは、多くの関係者や美輪さん自身の証言からもうかがえます。

 

恋愛という枠では語り切れない、美意識と芸術、そして友情によって結ばれた二人の関係。

 

だからこそ、今もなお多くの人々の関心を集め続けているというわけですね。

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